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米海兵隊岩国航空基地

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旧日本軍人がアメリカ人生徒に戦争体験を語る

19 Mar 2010 | ジェニファー・プロンテ兵長 Marine Corps Air Station Iwakuni-Japanese

第二次世界大戦終盤の1945年、戦局は連合軍に有利に展開しており、日本軍は苦戦を強いられていた。

従来の戦術では効果がなくなると、日本軍は特別攻撃を回復させた。日本海軍の大西瀧治郎中将は特別攻撃隊を編成し、アメリカの対航空機艦船や空母に対してこれらの特攻を実行させるために、カミカゼと呼ばれる志願兵を募った。

3月19日、旧特攻隊パイロットのマツムロマサユキさん(広島出身)が岩国基地、マシュー・ペリー高校の生徒たちに彼の戦争体験を伝えた。ある一日の出来事によって、彼のアメリカ人に対する見方がどのようにして変わったのかを話した。1943年、14歳だったマツムロさんは旧日本軍航空学校に通っていた。

入隊から一年たったとき、特別攻撃隊は桜花(おうか)と呼ばれる有人誘導爆弾(特攻専用機)を使用し始めた。「アメリカ人は桜花のことをBAKA爆弾、つまり馬鹿爆弾と呼んでいた。なぜなら、桜花を飛行させるものは頭がおかしいに違いないと思っていたからだ。」とマツムロさん。桜花は有人誘導爆弾で、標的近くまでは母機の機体の下につけて運ばれ、標的近くに入ると母機から離される。

桜花に搭乗したパイロットは狙った標的に高速で向かっていき、十分に接近すると、ロケットエンジンを作動させ、爆発を起こす。

「6分以内で標的に体当たりしなければならなかった。」とマツムロさん。「6分以上かかれば、標的に当たっても当たらなくても、死んでしまう。」

マツムロさんが神風特別攻撃隊に入隊したのは15歳のときで、終戦の4ヶ月前であった。マツムロさんは航空学校でパイロットの2級免許を取得していたため、数名の中から神風特攻作戦を実行する隊員に選ばれた。マツムロさんは特攻作戦実行前に家族に会うことを許されたが、それが彼の命を救うこととなった。その特攻計画は実行されることがなかったのだ。

1945年、8月6日の早朝、広島市に原子爆弾が投下され、およそ10万人が死亡した。マツムロさんの家族も全員死亡した。

「朝6時に広島を出た。わたしが電車に乗った2時間15分後に原爆が落とされた。」とマツムロさん。

マツムロさんの任務はキャンセルされ、生き延びることができた。しかし、廃墟と喪失感の中で、マツムロさんはアメリカ軍人に対する怒りを大きくしていった。

ある日、大阪にいたマツムロさんは婚約者と電車に乗っていた。すると、二人のアメリカ軍人がやってきた。

「二人は酒に酔っていた。」とマツムロさん。「二人は私の婚約者にお金を見せて嫌がらせをした。」「彼女を守らなくてはと思い、一人に飛び掛っていき、水の中に投げた。」

すぐに米軍の憲兵がマツムロさんを捕まえ、米軍の拘置所に拘留した。「自分は終わりだと思った。殺されると思った。」とマツムロさん。拘置所で一週間を過ごした後、マツムロさんは裁判にかけられたのだが、アメリカ人の弁護士、証人、通訳がついた公正な裁判であった。その裁判で、アメリカ軍人が電車で酒に酔っており、彼の婚約者に嫌がらせをしたことを認めたのは、マツムロさんにとって驚きであったという。

「次の瞬間に、私は無罪となっていた。」とマツムロさん。「その後、アメリカ人に対する私の気持ちは永遠に変わった。」

日米間で無残な戦いが行われた後、ひとつの出来事と正直な行動がそれまでの敵と一生続く友情を作り出したのだ。


写真1
3月19日、第二次世界大戦中に特攻隊のパイロットだったマツムロマサユキさんがマシューペリー高校の図書館で生徒たちに戦争体験を語っている。悲しい過去だが、マツムロさんは楽観的な将来やの希望や日米同盟について語った。


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