はじめに

米海兵隊岩国航空基地は東京の南西、約960キロメートル(約600マイル)の位置にあります。岩国航空基地のある岩国市は本州南端の山口県の東部にあり、市の北部は広島県大竹市と隣接しています。岩国市は後方を山に囲まれ、前方には瀬戸内海を臨んでいます。その岩国市には西から東へ錦川が流れており、岩国航空基地は錦川のデルタ地帯(三角州)上にあります。錦川は15万人以上の岩国市民の生活用水、また市内に多数ある工場の工業用水として非常に重要な役割を果たしています。
米海兵隊岩国基地には米軍と海上自衛隊が駐留しています。米軍は第1海兵航空団(司令部は沖縄)のおよそ半数と第3海兵兵站群の分隊が駐留しています。また、海上自衛隊は第31航空群とその他の部隊が駐留しています。現在、岩国基地の人口は、米軍人、米軍属、米人家族、日本人従業員、自衛隊員、そのほかの日本人勤務者を含めておよそ1万3千人です。
岩国市の歴史

現在、航空機が離着陸を繰り返す岩国基地の滑走路は、約350年前は瀬戸内海の底に沈んでいました。元々海であったこの場所は、昔の日本人が何百年もかけて埋め立てたものです。これが岩国の歴史の大部分であり、現在の岩国基地がどのようにして建てられたのかはほとんど語られることはありません。
1600年代初め、毛利家家臣であった吉川家は、関が原の戦いで破れた毛利家に伴い、毛利家が減封された周防長門(現在の山口県)の東端に位置する岩国領を与えられました。初代領主の吉川広家は錦帯橋の西にある城山に岩国城を建てたが、吉川家はあまり恵まれた立場ではありませんでした。吉川家が課せられていたのは6万石の年貢でしたが、実際に与えられていた土地は3万5千石でした。この状況を改善するため、吉川家は山を開墾し、海を埋め立てるよう家臣に命じました。それ以降、干拓事業が進められ、その埋立地の最大の面積を占めるのが川下地区のデルタ地帯で、岩国基地が現在建てられている場所です。埋め立てられた海岸の広さはおよそ2,000エーカー(8.1平方キロメートル)です。
岩国基地の歴史

1938年に日本政府が海軍基地を設立するために買収するまで、川下地区のデルタ地帯はすべて農地と集落でした。新しく建てられた海軍基地は1940年、7月8日に運用を始めます。第二次世界大戦が始まった時、岩国基地は訓練基地および防衛基地として使用されていました。当時、岩国基地は96名の訓練生と150機のゼロ戦を有していました。1943年、9月、江田島旧日本海軍兵学校の分校が岩国基地内に設立され、約1000名の士官候補生が常時訓練を行っていました。その後、岩国は1945年、8月に米軍のB-29爆撃を受け、その被害は製油所、鉄道運輸事務所、鉄道駅周辺に集中していました。岩国が最後に空襲に遇ったのは、終戦のまさに前日でした。
第二次世界大戦終戦時、最初に岩国に進駐した連合軍は米海兵隊でした。第二次世界大戦後は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなど、さまざまな国の軍が岩国基地に進駐しましたが、1948年にオーストラリア空軍基地となりました。
1950年、朝鮮戦争が勃発すると、国連軍(オーストラリア海軍と米空軍)が岩国に派遣されます。朝鮮で前線に立つ部隊を支援するため、岩国基地からは航空機が毎日発進し、給油と再軍備のために毎晩帰還しました。当時、岩国基地に部隊指揮所があったため、岩国基地は「朝鮮への玄関口」と呼ばれていました。1952年、4月1日、岩国基地は米空軍基地となります。その間、米空軍は岩国基地内の大規模な施設改修を行いました。1954年、10月1日、岩国基地は米海軍基地になります。1956年7月、第一海兵航空団(1st MAW)の司令部が朝鮮から岩国基地へ移駐され、約2,500名の海兵隊員を受け入れるために基地の北側が大幅に拡充されました。
1958年、岩国基地は米海兵隊の管理下におかれ、米海兵隊岩国航空施設となります。その後、1962年に正式に米海兵隊岩国航空基地(Marine Corps Air Station Iwakuni)となります。岩国基地の広さは約1,300エーカー(約5.3平方キロメートル)で、その任務はテナント部隊や船舶の運用、維持、および供給を支援することです。
現在の岩国市と岩国基地

現在の岩国市の主要な産業には石油化学工業、製紙工業、繊維工業などがあり、岩国市は瀬戸内工業地帯の一部を形成しています。また、岩国市内を行き来する岩国基地駐留のアメリカ人は、国際的な雰囲気を作り出しています。岩国市民は概して内気で遠慮がちですが、岩国基地コミュニティのアメリカ人たちと知り合いになる機会を喜んでくれています。
1997年、瀬戸内海を800メートル(0.5マイル)埋め立て、岩国基地の滑走路を1キロ沖合いに移設する滑走路沖合移設事業が開始されました。土地の埋め立てには岩国市の愛宕山から掘削された土砂が使用され、船で約4.8キロ(3マイル)離れた現場まで運ばれました。事業の主な目的は、騒音と安全に対する懸念を軽減し、基地と地域社会とのよりよい関係を強化するためです。事業は2010年3月に終了し、新滑走路は同年5月から使用開始されました。
また、2012年12月には岩国錦帯橋空港が開港しました。