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米海兵隊岩国航空基地

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9.11からの生還 – アメリカを揺るがした悲劇を振り返る

By クラウディオ・マルティネス伍長 | | September 9, 2011

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時代を通じ、国家は再定義され、歴史の流れは変化してきた。その歴史の中には、人々の人生を変える瞬間があった。その瞬間は、ある者にとっては大きな恐怖を物語るものであり、またある者にとっては、その魂に宿る強さを物語るものでもある。このような瞬間は、それが起こった日が記憶に残るほど、私たちの存在と大きく関係している。このような日について語ることは、たくさんの映像と様々な思いを呼び起こし、簡単なことではない。過去の世代にとっては、真珠湾攻撃が起こった1941年12月7日(ハワイ時間)がその日にあたる。現在の世代にとっては、2001年9月11日がその日である。

現在、9・11は9月11日に影響を受けた人全員の異なる体験を集約する言葉として使われている。9・11は『ユナイテッド航空93便の英雄たち(Heroes of United Flight 93)』として知られる、ハイジャックされた航空機に搭乗していた乗客たちの勇気ある行動を表す言葉である。9・11は、全世界が愕然とした思いで見ている中、テロ行為によって命を落とした約3千人の物語を表す言葉である。この9.11テロ攻撃から生還した人にとって、この日は今でも彼らの人生を変えた出来事を思い出す日となっている。

現在、岩国基地、司令部司令中隊の下士官として勤務するジェイ・サンティアゴ二等軍曹と彼の家族にとって、この日は厳粛な敬意を持って迎え、彼ら家族が一緒にいられることを感謝する個人的な日だ。

「本当のことを言うと、この10年はつらい日々だった。」とサンティアゴ二等軍曹。「家族に薦められてセラピーを受けて、助けにはなった。だが、セラピー毎に作られた書類はすべて保管しているが、今でもその書類を見ることができない。あれは決して忘れることができない出来事だった。毎年、ニューヨーク世界金融センターの健康登録局からはがきが届くたびに思い出すよ。」

10年前、サンティアゴ二等軍曹と彼の家族は、アメリカ、ニュージャージーの家で初秋を迎えていた。同じころ、19名のアルカイダのメンバーが彼らの人生を永遠に変える恐ろしい計画を実行に移し始めていたことなど知るよしもなかった。

その日、息子のジョシュテン(当時3歳)を保育園に送り、娘のデスティニー(当時5歳)が学校へ行くのを見届けると、サンティアゴ二等軍曹とその妻、メイデリンは仕事に行くため、ニューヨーク、マンハッタンにあるグランドセントラル駅へと向かっていた。サンティアゴ二等軍曹は当時、メリルリンチ証券本社ビルの北棟で働いており、メイデリンはニューヨーク市立ジョンジェイ大学(犯罪研究学)で学んでいた。

「電車に乗ろうとしていました。」とメイデリン。「主人はいつも駅の南側へ行き、私は北側へ行っていました。いつも反対側のプラットフォームで電車を待っていたから、お互いの顔を見ることができたんです。大体、私の電車のほうが早く出ていたので、彼がいつも私を見送ってくれました。」

この瞬間は、今でもサンティアゴ夫妻の心に深く焼きついている。

サンティアゴ二等軍曹が事務所で仕事を始めると、火災報知器が鳴った。いつものことかと思いながら同僚たちと外に出た。

「外はすごい混乱になっていた。」とサンティアゴ二等軍曹。「誰も何が起きているのかわかっていなかった。」

サンティアゴ二等軍曹は通りを横切り、教会通りにある郵便局のほうへ向かっていった。途中、立ち止まって空を見上げた。当時、この近辺では映画の撮影が行われていたため、彼は最初、これは撮影の一部だと思っていた。だが、次に見たもので撮影ではないことがわかった。 

「そこに立ち尽くし、ビルに空いた穴を見ていた。その穴の隣に立っている女性が飛び降りるまで、何が起こっているのかわからなかった。」とサンティアゴ二等軍曹。「下にはネットも何もないのになぜ飛び降りたんだ?と思っていた。彼女が実際に地上に落ちるまで、、、、そのとき、やっと何かが起きているとわかったんだ。」

全員が何とか助けたいと思っていたが、そのすべを知っているものは誰もいなかった。次に起こることを見るまで、ビルから人が次々と飛び降りるのを、ただ、信じられない思いで見ているしかなかった。

「そのとき、二機目の飛行機が突入するのを見たんだ。」とサンティアゴ二等軍曹。「二機目の航空機はビルの周りを飛行し、スタテン島の上空を通過した後、自由の女神像のそばを抜けて、南側のタワーに突入していった。そのとき、これは攻撃されているのだとわかった。航空機がビルの窓から窓へと突っ込んでいき、瓦礫が飛び散っていたのを覚えているよ。」

更なる混乱によって、通りには人々が溢れた。誰もどうしていいのかわからず、ビルが煙を上げているのをただ見ていた。

「とにかくただ、立ち尽くしていた。」とサンティアゴ二等軍曹。「時間が経つと、ビルは崩れ落ちた。南棟が先だった。ビルが崩壊したとき、私を含む5人がトレイラーの下敷きになって閉じ込められてしまった。閉じ込められた中でサイレンの音や泣き叫ぶ声だけが聞こえていた。誰もどうしていいかわからなった。」

ニューヨーク市の中心から50ブロック離れたジョンジェイ大学では、メイデリンが教室から体育館へ避難していた。移動の途中で、テレビに映るューヨーク市の様子を少しだけ見ることができた。その映像を見たとき、彼女の胸は押しつぶされそうになった。

「ツインタワーは両方ともなくなっていました。」とメイデリン。「何も残っていませんでした。その瞬間をテレビで見て、ショックでした。ずっと『彼は死んだ。彼は死んだ』と思っていました。」

メイデリンは外に出ると、学校から20ブロック離れたところにある彼女の母親の家へ向かった。焼け焦げたにおいが立ち込め、市内からはもうもうとした土煙が押し寄せていた。

「まるでこの世の終わりでした。」とメイデリン。「みんなが恐怖におののき、泣いていました。まるで、大量の人口流出みたいでした。みんなただ歩きながら、呆然としていました。」

メイデリンは地下鉄の駅で最後に彼を見たときを思い出しながら、自分の夫は死んでしまったのだと思いながら、胸が張り裂けそうだった。

一方、グラウンドゼロでは、サンティアゴ二等軍曹が他の5人とまだトレイラーの下敷きになっていた。誰の携帯電話も通じず、外部との連絡は途絶えていた。

「助けを呼ぶために叫んだが、誰も来てくれなかった。ただ、そこにいるしかなかった。」とサンティアゴ二等軍曹。

その恐ろしい日が終わっても、サンティアゴ二等軍曹たちはまだ下敷きになったままだった。何時間も経ち、沈黙しか感じられない中、サンティアゴ二等軍曹は自分の人生を振り返り始めた。

「結婚したときのことを思い出していた。子供たちが生まれたときのことや、以前、海兵隊に入隊していたときのこと。今まで訪れた場所のことなんかもね。」とサンティアゴ二等軍曹。「ああいう時、人は人生を振り返る。あんな場所で人生を振り返るなんて思ってもみなかった。」

熱と焦げたようなにおいが周りに立ち込めていた。全員がもう駄目だと思い始めていたとき、希望の光が差し込んだ。消防士の叫ぶ声が聞こえたのだ。「助けが必要な人はいませんか!誰かいますか!」彼らは外へ出ようと必死で掘り始めた。

「ドンドンと音を立てると、外の消防士たちが我々を掘り出してくれた。」とサンティアゴ二等軍曹。「まるで、もう一回生まれたみたいな感じだった。消防士の人たちが外に引っ張り出してくれたんだ。」

緊急医療サービスで診察を受けた後、サンティアゴ二等軍曹は開放された。瓦礫まみれのぼろぼろのスーツを着て、ガソリンの匂いが立ち込める中、サンティアゴ二等軍曹は妻の実家への長い道のりを歩き始めた。まだ、家族とは連絡が取れないままだった。真夜中にやっと家にたどり着くと、そこでは家族が夜通し彼のために祈りをささげていた。家族全員が彼は死んでしまったと思っていたのだ。

「主人が少し先から歩いてくるのが見えました。」とメイデリン。「私が走ると彼も走り出し、互いに抱きあって泣きました。彼はいろんなことを私に話したけど、何を言っているかわかりませんでした。ただ、彼が目の前にいるということ以外、考えられなかったんです。」

その後、彼らは子供たちが待つ、ニュージャージーの家へと向かった。子供たちは近所の人が世話をしてくれていた。

デスティニーは当時5歳だったが、彼女はその日、両親を見たときのことを覚えているという。「ほっとしました。」とデスティニー。「うれしかったし、感動的な体験でした。母はヒステリックになっていて、父はガラスまみれでした。」

その後の数ヶ月は、アメリカ全体にとってつらいものであったが、サンティアゴ一家にとっても特に困難な日々であった。

「学校から帰ってくると、父はまだパジャマのままでそこに座っていました。」とデスティニー。「父を慰めてあげたかったけど、慰められないことも知っていました。」

数ヵ月後、サンティアゴ一家は前に進む道を見出した。サンティアゴ二等軍曹は海兵隊に再入隊し、国家のために仕えることを決心したのである。「海兵隊に戻ったのは、あんなことが二度と起きないために何かをしたかったから。」とサンティアゴ二等軍曹。

アメリカ同時多発テロ事件から10年が過ぎた。これは、テロリストの計画によってサンティアゴ一家が決定的に変わった10年でもある。

「あの日までに知っていたものがすべてなくなりました。」とメイデリン。「私たちはあの日以前と同じ人間でもないし、同じ家族でもありません。同じ夫でも、同じ妻でもありません。同じものは何もないのです。すべてが一瞬の内に起こったことでした。」

何百万人もの人生を変えた、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビンラディンを追跡してから10年。彼はついに裁きを受けることとなる。2011年5月1日、アメリカ軍によってオサマ・ビンラディンは射殺された。

妻からそのニュースを聞いたサンティアゴ二等軍曹は最初、信じられなかったという。

「妻に4回も確認したよ。本当かってね。」とサンティアゴ二等軍曹。

その日、具合が悪く、家で休んでいたサンティアゴ二等軍曹はメイデリンから電話でそのニュースを聞いた。

「やっと、あの事に幕を引くことができた。」とサンティアゴ二等軍曹。「終わったんだとやっと言えた。もう、あの事を引きずり出さなくていい。もう終わったんだ。」

今年の9月11日、全世界が10年前に起こったことを思い出すだろう。同じ事件について、人々はそれぞれに異なる体験をしたことを思い出すだろう。全員がそれぞれ違う体験をしたのだ。

「この事件は全員に、同時に起こったということを忘れてはいけません。」とメイデリン。「私たちの体験は多くの人たちに起こった出来事の中のたったひとつにすぎません。私たちは数分で苦痛、痛み、そして復活の目撃者となったのです。悲しい事件でしたが、決して忘れてはならないことです。これは私たち、私たち家族、そしてアメリカ全体に起きたことなのです。」


 
写真1
宮島の厳島神社前で家族とポーズをとる、岩国基地、司令部司令中隊、下士官のジェイ・サンティアゴ二等軍曹。(写真右から)サンティアゴ二等軍曹、妻のメイデリン、息子のジョシュテン、娘のデスティニー。サンティアゴ二等軍曹は9・11テロ攻撃からの生還者である。ツインタワーの南棟が崩壊したとき、サンティアゴ二等軍曹はトレイラーの下に閉じ込められたが、消防士によって救出された。


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