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米海兵隊岩国航空基地

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隊員の髪を刈って半世紀 ー 三人の日本人理髪師

By カルロス・ヒメネス伍長 | Marine Corps Air Station Iwakuni-Japanese | October 25, 2017

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1970年代初頭、不機嫌そうな海兵隊員が長い列を作りながら、自分の順番が来るのをいらいらしながら待っていた。いすに座って待つ隊員もいれば、髪の毛が散らばった床に座り込む隊員もいた。そんな中、長い列をさばこうと必死に奮闘していた日本人理髪師の中に、後に隊員たちによく知られるようになる三人の日本人がいた。

その三人とは、当時、アメリカ人隊員の髪を切る仕事を始めたばかりのシゲムラ・トミエさんとムラカミ・ヒサトさん、チエコさん夫妻。基地で働くことは三人にとって大きな変化だった。それまで切っていたまっすぐで長い日本人の髪と違い、厳しく規制された海兵隊員の髪型に悪戦苦闘していた。

未熟な理髪師だった三人は、その情熱と献身さで、現在の経験豊かなベテラン理髪師へと成長していった。

約半世紀もの間、数え切れないほどの海兵隊員の髪を切ってきた三人。ベトナム戦争時の混沌とした日々からテロとの戦いが続く現在まで、三人は基地内で長い歴史を刻んできた。その間、クオンセットハット(かまぼこ型建物)などの古い建物しかなかった岩国基地が、小さな街を形成するほど成長していくさまも見てきた。

困惑した若い理髪師にとって、最初、基地内の理髪店は緊張した雰囲気の職場だった。当時、アメリカ史上、最も激しい戦闘のひとつとして知られるベトナム戦争に直面していた海兵隊員たちは、今と違い、殺気立った様子だったという。

「ベトナム戦争中はとても忙しい時期でした。」とシゲムラさん。「初めてここに来たときは、多くの隊員が原っぱに寝そべってカットの順番を待っていました。今の隊員の皆さんは、現在の状況に感謝するべきだと思います。ここで働き始めたときはみんな、厳格な感じがしました。カットが終わったらお金を投げて払う人も中にはいました。今とは全く違います。」

ムラカミさん夫妻も同じような意見だが、三人とも、海兵隊員の中には攻撃的な振る舞いをする人がいたことを理解できるだけでなく、隊員の振る舞いに同情も感じていた。

「私には問題ではありませんでした。」とシゲムラさん。「私も若かったし、隊員の皆さんも大体同じくらいの年でしたから、そういう振る舞いをする気持ちは理解できました。戦争に行かなくてはならなかったんですから。」

シゲムラさんは岩国基地で働いている間、印象の悪い海兵隊員はほとんどいなかったという。

基地の理髪店の中で最年長のシゲムラさんは1970年に入社。岩国に来る前、島根県浜田市の理髪店で既に1年ほど働いていたシゲムラさんは、ご主人と一緒にマイホームを持つことを夢見て岩国へ移ってきた。

シゲムラさんは職場の環境は好きになれそうだと感じ、基地の仕事は給料もよかったという。おかげで夢見ていたマイホームを数年後には手に入れることができた。

ムラカミ・ヒサトさんと妻のチエコさんは1971年、シゲムラさんの後に入社した。ムラカミさん夫妻はパパさん、ママさんの愛称で呼ばれている。

基地内で最高の理髪師の一人として知られているパパさんは、以前働いていた理髪店から引き抜かれた。ママさんと一緒に基地内の職場に転職し、それ以来、ここでずっと一緒に働いている。

48年の歳月の間、三人は基地が成長していくさまを目撃してきた。昔は兵舎、店、事務所など様々なものがクオンセットハット(かまぼこ型の建物)で作られており、コンクリート製兵舎の建築が始まったのもこのころだった。

兵舎以外にも、様々な場所で工事が継続的に行われていき、現在の基地のような近代的な姿へと少しずつ変化していった。

パパさんは長年の間、自分の周りで起こってきた大きな変化を覚えているが、ママさんはあまりはっきりとは覚えていないという。

「すべてが変わりました。少しずつ変わっていったので、どこがどんな風にというのははっきり言えません。」とママさん。「最初は基地のことについて何も知らなかったから、建物とかもあまり見てなかったかもしれません。とにかく、何でも学んで仕事に慣れようと必死でした。」

三人にとって、最大の困難は基地内の環境に適合することだった。ママさんによると、基地内の環境は基地外での生活とはまったく違っていたという。言葉の壁から生活習慣まで、すべてが普通ではなく、混乱するものだった。

「今は私も仕事に慣れていますし、海兵隊員の皆さんとコミュニケーションが取れています。」とママさん。「でも、最初はまったく違いました。」

シゲムラさんも働き始めたころは似たようなジレンマを持っていて、最初の頃の体験は恐怖と不安に満ちたものだったという。

「初めて海兵隊員の髪を切ったときは、手が震えました。」とシゲムラさん。「私もすごく若かったですし、正直に言うと、海兵隊員を怖いと思っていました。それまでアメリカ人の隊員を見たことがなかったんですから。」

先輩の指導や励ましにより、三人は新しい環境に徐々に慣れていき、基地コミュニティの一部となっていった。

「ここで働き始めたときは不安もありましたが、今はそんなこともありません。自分の技術も向上していますし、お客さんの満足度も上がっていると思います。」とママさん。「今は海兵隊員の皆さんも片言の日本語を話せます。『アリガトウ』とか『サヨナラ』くらいですが、日本語を勉強しようとしてくれています。ですから、多少のコミュニケーションが取れます。昔はまったくそんなことはなくて、一言二言知っているかどうかでした。今の皆さんはいろいろ日本語をご存知ですし、私の英語も上達しました。ですから、隊員の皆さんともコミュニケーションが上手に取れるようになりました。」

地元の日本人、特に基地で働く日本人が(基地内で)歓迎されていると感じてもらうことは、基地運用を円滑にするために重要な要素である。そうすることで、アメリカにとって一番重要な同盟国のひとつである日本からの支援を得ることに貢献することができる。また、米軍基地を抱える地方自治体やその住人に、基地があることは防衛だけでなく、地域社会や経済にとっても利益があることをわかってもらうことができる。

ムラカミさん夫妻とシゲムラさんは引退する日までここで働く予定だが、それはおそらくずっと先のことだという。

「いつ辞めるかは考えていません。」とシゲムラさん。「でも、体が許す限り、ここで働き続けたいと思います。」

基地とそこに住むアメリカ人が礼儀正しく、謙虚な態度で接する限り、三人のような日本人は海の向こうからやってきた友人のために計り知れないサービスを提供し、同時に彼らも自分の好きな場所で働く機会を得ることができる。


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