米海兵隊岩国航空基地 -- 七夕のお祝いでは、優しさ、知識、愛を願って書いた短冊を笹にくくりつける。その短冊が星に向かってたなびくごとに、その願いはかなっていく。
7月7日、岩国基地住人が岩国市内にある老人ホーム『錦寿苑』を訪れ、七夕を祝うお祭りでそれぞれの願い事を短冊に書いた。
基地住人は岩国基地、文化交流プログラムを通じて、錦寿苑の七夕まつりに招待された。基地住人は七夕まつりを通じて日本文化を体験し、日本人との友好関係を築くことができた。
日本では毎年、7月7日に祝う七夕は、元来、中国から伝わったもので、後に日本に伝わったときに織姫と彦星の悲恋の物語が加えられた。
「日本でも、七夕を祝うことはあまりなくなりました。」と話すのは、文化交流プログラム担当のワタナベ・ミキエさん。「幼稚園で七夕をお祝いしたり、レストランで七夕の飾りを見ることはありますが、実際の七夕まつりはどこでも見られるものではなくなりました。錦寿苑からご招待を受けたとき、奥深い日本文化をアメリカ人に体験してもらえると思いました。」
参加者は流しそうめんを食べたり、日本の伝統玩具であるけん玉で遊んだり、短冊に願い事を書いて笹につるしたりして、七夕を楽しんだ。
「竹の筒から流れてくるそうめんをおはしで取って食べました。」と話すのは、この日参加したシェリー・ヒルさん。「他のお料理もいただきましたが、おいしかったです。それから色紙で作った短冊に願い事を書いたり、入居者の皆さんと一緒に七夕の歌を歌ったりしました。」
ヒルさんはまた、「今日は日本文化を学びながら、岩国市民の皆さんと交流することができました。」とも話した。
このような伝統行事の催しは、基地住人と岩国の地元地域との関係を深める助けとなる。
「言葉の壁は気にしていませんでした。」とワタナベさん。「握手をしてハグを交わせば、みんな笑顔になれますから。」
ワタナベさんは、彼女自身も「たなばたさま」の歌を歌って育ったので、大人になった今でもこの歌を覚えているという。ワタナベさんは、「錦寿苑の入居者やアメリカ人と日本文化を分かち合えることは嬉しいし、音楽を通じて、よりいっそう、文化交流が深まる。」と話す。
この日は岸信夫外務副大臣も錦寿苑を訪れ、施設入居者や基地住人と一緒に七夕まつりに参加した。岸外務副大臣は安部晋三総理大臣の弟。
「(副大臣の訪問に)とてもびっくりしました。副大臣は英語でアメリカ人と楽しそうにお話されていました。」とワタナベさん。
錦寿苑を去る前、岸副大臣は参加者全員に対して、この行事に参加し、七夕をみんなで祝ってくれたことに感謝の意を述べた。
七夕はでは織姫と彦星の伝説がよく知られている。織姫は着物を織り、 許婚(いいなずけ)の彦星は牛を牧畜していた。織姫の父である天帝(てんてい)は二人を結婚させようと考え、二人は出会ってすぐに恋に落ちた。
だが、二人は仲がよすぎるため、それぞれの仕事をしなくなってしまう。織姫の織る着物の質は低下し、彦星の牛は病気になってしまった。織姫の父である天帝は怒り、二人を引き離してしまう。だが、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、年に一度、7月7日だけは会ってもよいという許可を与えた。
織姫はベガ(こと座の一等星)、彦星はアルタイル(わし座の一等星)をあらわしていて、天の川の両端に位置している。二人が会えるこの日は日本の梅雨時期にあたるため、この日の天気が晴れでないと、二人は次の年まで会えないことになる。
この七夕まつりのような行事への参加は、基地住人に日本文化を体験する自信を与えてくれる。
ワタナベさんは「日本人は岩国に海兵隊の基地があることは知っていますが、実際に基地住人と会う機会はあまりありません。」と話す。
「今日の七夕まつりが、岩国基地住人にとっては初めての日本訪問かもしれません。」とワタナベさん。「もし彼らに外出して、日本の人々と出会い、友人を作る機会を持てば、アメリカ人はもっと快適に過ごせるでしょう。日本人とアメリカ人がお互いにコミュニケーションを図るのは難しいことですが、この行事を通じて、日本人と一緒に時間を過ごし、彼らが持っている不安を取り除くチャンスになります。」