米海兵隊岩国航空基地 -- 江戸時代、日本では将軍徳川家の命令により大名は二年に一度、江戸(現在の東京)へ出仕しなければならなかった。将軍家への忠誠を示すこの制度は参勤交代と呼ばれ、大名は行列をなして江戸へと出向いていた。
江戸時代の参勤交代は、大名が将軍家に負う単なる軍役以上の意味があった。また、大名が将軍家に対して謀反(むほん)を興すことを抑制するのにも一役買った。
大名がその家臣たちを引き連れて江戸へ向かうための経費は莫大であったため、軍を率いて反乱を起こすことは財政的に困難であった。これにより、将軍家が各藩の大名家を容易に管理できた。この参勤交代は1635年に武家諸法度に制定された。
現在、日本に大名はもういないが、地元の人々はこの古くからの伝統に敬意を表し、毎年4月29日に錦帯橋まつりを開催し、大名とその家臣による江戸への大名行列を再現している。岩国市民と基地住人は江戸時代の衣装に身を包み、祭りの間、それぞれの役になりきって錦帯橋付近を練り歩いた。
また、初代岩国藩当主の吉川広家が設立したと言われている岩国藩鉄砲隊による火縄銃の実演も行われた。この岩国藩鉄砲隊は、1600年の関が原の闘いで戦った石田三成が興した石田流の流れを汲んでいる。その他にも、公園内では岩国市内の学校による吹奏楽演奏や空手道演武、茶席が設けられ、観光客を魅了していた。
行列の参加者が錦帯橋付近を歩いていると、刀、扇子、着物などが並べられている数軒の骨董屋を見ることができた。
「日本へ来たのはこれが初めてです。」と話すのは、岩国基地から参加したハンナ・コシェスキーさん。「岩国に住んでいる人も、岩国がただの通過点の人もこのお祭りは見るべきです。この祭りに参加し、現代と江戸時代の両方の日本文化を体験できてて嬉しいです。」
一日も終わりに近づく頃、大勢の参加者を引き連れた大名行列の最後尾が歴史のある錦帯橋を渡り終わり、公園を抜けていった。
この100年以上昔に行われていた大名行列を一目見ようと、この日は日本中から多くの観光客が岩国を訪れた。毎年4万人以上が訪れるこの錦帯橋まつりは、岩国市最大のイベントのひとつとなっている。
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4月29日、錦帯橋周辺で行われた錦帯橋まつりで、江戸時代の火縄銃の発砲演武を行うために一列に並んでいる岩国藩鉄砲隊保存会の皆さん。1600年の関が原の戦いで戦った石田三成が興した石田流の流れを汲んでいると言われている。
写真2
4月29日、錦帯橋まつりの大名行列に基地から参加した、腰元役の二人の女性が錦帯橋を渡りきったところ。江戸時代の日本では、将軍徳川家の命令により大名は二年に一度、江戸(現在の東京)へ出仕しなければならなかった。