米海兵隊岩国航空基地 -- 2012年5月5日、太陽が輝き、青空が広がる岩国基地では、飛行機が滑空し、2012日米親善デーを祝う人々であふれていた。
1973年以降、(それ以前は別の名前で呼ばれていた)日米親善デーは地元や遠方から訪れた日本人が基地に入れる絶好の機会となっている。航空機の飛行演技が披露されるこの特別な日は、何年にも渡って、在日海兵隊員とホスト国である日本の文化交流を活発にしてきた。
「今日の最大の目標は、海兵隊がどのような組織でなぜ岩国に駐留しているのか、隊員がどんな人たちなのかを地元の皆さんによく理解してもらうことだ。」と話すのは、第一海兵航空団(1st MAW)司令官のウイリアム・バイドラー少将。「今日は我々にとって重要な日だ。」
この日は海兵第三遠征軍(III MEF)の音楽隊によるマーチング演奏で始まった。音楽隊がフライトラインの入り口から主要観覧エリアまで行進すると、そこには既に何千人もの日本人客が押し寄せていた。
「今日は、基地の中に普段入ることのできない地元住人の皆さんに、岩国基地のゲートを開放する日だ。地元住人の皆さんの多くは、基地の中で普段どのようなことが行われているかに関心があるはずだ。」とバイドラー少将。「この日米親善デーは、日本がホスト国として我々のためにしてくれていることへの感謝を示す絶好の日だ。日本人は基地内のインフラに大きく貢献してくれているので、在日米軍の能力を示すことで、日本の皆さんによい印象を与えることができる。」
滑走路では飛行演技が絶え間なく披露されている一方で、飛行機の地上展示、子供向けアトラクション、売店などが基地の広大な場所を埋め尽くした。
この日基地を訪れた285,000人以上の日本人観光客は、車の展示からゼロ戦駐機場まで様々なアトラクションを楽しんでいた。基地正門近くにあるゼロ戦駐機場は、歴戦を物語る旧日本海軍の戦闘機駐機場のこと。
地上展示の飛行機を見ながら岩国の海兵隊員と写真を撮る日本人も多くいたが、それ以上に、航空機の飛行演技をビデオ撮影している日本人はもっと多かった。
「今月は海兵隊の航空部隊ができてから100周年を迎える。」と話すのは岩国基地司令のジェームズ・スチュワート大佐。「今年の日米親善デーは、基地の機能を地域社会に示すことができる特別な日になった。」
「フェンスの中に住んでいようと外に住んでいようと、我々もこの地域社会の一員だ。」とスチュワート大佐。「岩国基地はアジア大陸へ一番近い前方展開地点として、我々の戦闘力を示し、維持するために存在している。米軍が常時即応体制であることを実証するのは重要なことだ。」
「今日より素晴らしい日、イベント、そして日米親善デーを支援してくれた人々以上のものを求めることはできない。すべてが予想以上だ。」とスチュワート大佐は話した。
写真1
5月5日、岩国基地の入り口で日米親善デーの開始を待つ日本人観光客。岩国基地で毎年行われている日米親善デーには長年にわたる日米の友好関係を祝って、285,000人が訪れた。
写真2
5月5日の日米親善デーで日本人の女の子と一緒に写真を撮る、海兵第242戦闘攻撃中隊(VMFA-242)のパイロット、ティモシー・ファラグ大尉。285,000人以上の観客とともに、飛行機の地上展示、食べ物や洋服などの売店がフライトラインを埋め尽くした。観客の中には、この航空ショーを見るために数百キロも遠くから岩国へ来た人もいた。
写真3
5月5日の日米親善デーのオープニングで演奏する、海兵第三遠征軍音楽隊の海兵隊員。この日米親善デーでは航空機の地上展示やアメリカや日本の食べ物の売店、航空ショーを見るために、285,000人以上の観客が基地を訪れた。
写真4
岩国基地上空で飛行演技を披露するブルーインパルス。この日の日米親善デーでは航空ショーだけでなく、航空機の地上展示、子供用のアトラクション、多くの売店などが飛行場を埋め尽くした。
写真5
5月5日の日米親善デーでブルーインパルスの写真を撮影している日本人観光客。この日米親善デーでは航空機の地上展示やアメリカや日本の食べ物の売店、航空ショーを見るために、285,000人以上の観客が基地を訪れた。