米海兵隊岩国航空基地 -- マリンコーコミュニティサービス主催のツアーで29名の岩国基地住人が9月27日、広島市縮景園を訪れた。広島市中心部の喧騒から離れた場所に位置する縮景園は、静かで落ち着ける場所。
1619年、浅野長晟(あさのながあきら)が広島藩の藩主となる。その翌年、長晟は庭園の建築を命じた。
「景色を縮めた公園」という意味の縮景園は、中国杭州にある西湖を模して縮景されている。
縮景園が広島県に寄付された5年後の1945年、縮景園は原子力爆弾「リトルボーイ」によって破壊された。
1951年に縮景園の復元が開始されたが、復元が完了するのを待たずに一般公開された。1964年に復元された清風館という小さな建物では、現在も茶会が開かれている。
毎年18万人が訪れる縮景園には、さまざまな動植物が生息している。ここを訪れた人がしばしば目にするのは、結婚式の前に写真撮影をする紋付袴の新郎と打掛を着た新婦。
この日参加したマーリン・クルツさんは他の参加者同様、今回初めて縮景園を訪れた。
「今日は写真を撮っている花嫁と花婿が園内にたくさんいました。日本文化を垣間見ることができて、とても興味深かったです。」とクルツさん。「彼らが着ている婚礼衣装はとても凝っていて、美しいものでした。」
袴と打掛は(神前)結婚式で新郎新婦が着る伝統的な衣装。
(神前)結婚式は日本古来の神道に由来する。神道は自然のさまざまな形に神を宿らせ、亡くなった人々に大きな意味を持たせる信仰である。
神道を信仰していれば、縮景園のような歴史ある平穏な場所で結婚式の写真撮影をするのは簡単に理解できるだろう。
入り口の冠木門(かぶきもん)をくぐると、松の木やさまざまな花、植物の香りが香ってくる。冠木門は武家屋敷で使われていた門の様式である。
縮景園は多くの大名が作った庭園と同様、回遊式庭園である。回遊式庭園は1336年から1568年の室町時代に多く見られる。
園を一周する小道を歩くと、木々や花、鳥や滝、多くの鯉や亀が住む湖を見ることができる。
池の真ん中に渡された橋は跨虹橋(ここうきょう)。意味は『虹に掛かる橋』。
橋の両側にはバケツが置かれ、その中には鯉のえさが入った袋でいっぱいだった。鯉のえさは一袋100円で、このえさは鯉と亀にあげることができる。
弟と一緒に縮景園ツアーに申し込んだジョエイ・フーバーさんは、園内の色々なところを見て周り、ツアーを楽しんだと話す。
フーバーさんは日本庭園に詳しいが、園内を散策している間、初めての光景を見ることになった。
「一番楽しかったのは、木の剪定を実際に見学できたことです。」とフーバーさん。「うちにも日本庭園があり、鯉が泳ぐ池などがありますが、実際に剪定をしているところを見て、かっこいいと思いました。とても手際のあざやかな仕事です。」
歴史や物語、現在も残る自然のため、縮景園は広島市の主要な観光地のひとつとなっている。縮景園の開園時間は午前9時から午後6時まで(10月から3月は午後5時閉園)、入園料は250円。
写真1:9月27日、縮景園を訪れた岩国基地住人に、広島に投下された原爆の生存者の話をする、庭園ガイドのツダ・フジオさん。ツダさんの話では、原爆が投下された当時、縮景園の真ん中にある池に広島の人々が水を求めて飛び込んでいった。だがその後、全員が放射能により、うつぶせの状態で死亡した。
写真2:9月27日、縮景園の跨虹橋(ここうきょう)で鯉にえさをやる、ブレンダ・パイパーさん(立っている人)とアイリーン・アーウィンさん。跨虹橋は湖の真ん中に掛けられた橋で、回遊式庭園の園路の一部。