米海兵隊岩国航空基地 -- 無私無欲とは一体、何だろう。無私無欲は様々な方法で示すことができる。例えば、公共 交通機関で自分よりも必要としている人に席を譲っ たり、友人や家族の為に時間を割いたり、ピザの最後の一枚を他の人に譲ったりすることである。このような親切は、受けた人たちの心に残り、大切にしまっておいてもらえる可能性がある。このような行動は、「自分のことは後回しにして、他人が求めているも のを先に与える」という、無私無欲の精神を定義す るのに役立つ。
米海兵隊岩国航空基地には、自分の周りの人を支えるために頑張ってきた、ある一人の女性がいる。退役海兵隊員であり、3人の子供の母親でもあるコリーナ・ゴンザレスさんは、無私無欲の心で自分の時間を多くのボランティア活動に割いてきた。子供のころはメキシコで家族を支え、現在は、岩国基地で支援を必要としている団体のためにボランティアをしている。
コリーナさんは1980年代初頭、メキシコのミチョアカンで、両親に7人の兄弟と一緒に育てられた。彼女は多くの子供の一人であり、他の子供と同じようにエネルギッシュな子供だった。「メキシコで生まれ育ち、たくさんの思い出があります。」とコリーナさん。「兄弟たちと一緒に過ごした時間が最高の思い出です。私たちはいつもいたずらしていました。それから、レストランで食事をしたことも覚えています。大家族でしたから、外での食事はしょっちゅうできなかったので、外食するのは特別な時間でした。」
比較的、安全で普通の子供時代を過ごしたコリー ナさんだったが、ほどなくして環境が悪化。1988年、彼女とその家族は厳しい環境から逃れるためにアメリカとの国境を越えることを余儀なくされ、より豊かな生活を求めてサンディエゴへと向かった。
そして、アメリカでのコリーナさんの家族は結局、 カリフォルニア州、オレンジカウンティに落ち着い た。ビザ取得後、彼女とその兄弟はそこで学校に通い始め、新しい生活をスタート。当時、コリーナさんが望んでいたことは、オレンジカウンティで楽しく過 ごすこと以外、何もなかったが、状況は変化していった。やがて、自分の家族と同じような道は歩みたくな いとコリーナさんは感じるようになり、高校卒業後は大学へ進学することを決意。大学入学後の初めての新学期中、制服に身を包んだ男性たちがテーブルについているのを目にする。彼らはアメリカ海兵隊員だった。彼らはコリーナさんに「旅行は好きか」、「何か人と違うことをしたいという気持ちがあるか」、「誇りに感じられる何か新しいことをやってみたいか」などを聞いてきた。このとき、海兵隊への入隊は自分の人生の為にできる最高のことだと感じたコリーナさんは、入隊を決心した。
「当時、私は17歳だったので、入隊には母のサインが必要でした。」とコリーナさん。「母は、『もし、この子を連れていくなら、この子の姉も一緒に連れて行って。この子はいつも馬鹿なことをするので、信用できないから。』と言っていました。私は小さいころ、トラブルメーカーだったので、母から『お姉さんにあなたの世話をしてもらう。』と言われたのです。ですが、 面白いことに、実際は真逆になりました。私が姉の世話をすることになったのです。ブートキャンプでは、 肉体的にも精神的にも、私のほうが姉よりも強くなったからです。」
1998年に基礎訓練を終了すると、コリーナさんは最初の赴任地であるキャンプ・ペンドルトンへと送られた。そこで彼女は未来の夫となるカルメロ・J. ゴンザレス兵長(当時。現在は上級曹長)と出会うことになる。
「彼は下の階でメンテナンスをしていて、私は上の階で働いていました。彼はいつも大声で叫んでい ました。『おい、コリーナ!今週末、朝ごはん食べに行こう!』と言われると、キャンプ・ペンドルトンから車で40分ぐらいの母の家に行って、いつもチラキレスと いうメキシコ料理を勧めていました。」その後、二人とも沖縄に駐留していた時、「彼にダンスに誘われ、イエスと答えたんです。」こうして、二人の生活が始ま った。
1999年、2月14日、コリーナさんはカルメロさんと結婚。2001年、コリーナさんは海兵隊でのキャリアを終えようと決心し、カリフォルニア州、テメキュラに家を購入。そこからカルメロさんとの家族生活がスタート。彼女は自分の子供たちの生活をよくするためにあらゆる努力をしようと考えていた。だがその矢先、アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件)が発生。その後に起きたさまざまな出来事のため、コリーナさんは個人即応予備役(IRR)から呼び出しを受け、2003年にキャンプ・タレガへ招集された。2004年に任務を終了すると、コリーナさんはパーソナル・トレイナーとなり、大学に戻って、学士号を終了した。
「海兵隊除隊後、私はカリフォルニア州立大学サンマルコス校を卒業しました。」とコリーナさん。「自分の時間があるときは、とにかく何でも、ボラン ティア活動をしていました。例えば、娘たちと一緒に、できる限り多くのホームレスの人たちに食事を提供したりしていました。いつも誰かを助けたいと思っていたんです。特に、夫が展開でいないときは、自分を忙しくしておくためです。多分、自分の人生や家族を自分で管理したかったのだと思います。いつも孤独だったので、強くなりたかったのでしょう。だから今、助けを必要としている人々を見ると、助けたくなるのです。彼らがどんなふうに感じているか理解できるからだと思います。」
海兵隊員として国に仕える経験をし、アメリカ市民として享受できることを目の当たりにしたコリーナさんは、ア メリカ市民権を獲得しようと決心し、2003年に市民権を獲得。
「メキシコ人であることに誇りを持っていますが、 同時に自分が成し遂げてきたことのすべてに感謝しています。」とコリーナさん。「夫に『(市民権の)スポ ンサーになろうか?』と聞かれましたが、『いいえ。自分自身で獲得するつもり。あなたから市民権をもら ったと言われたくないの。』と答えました。」
2018年、既に米空軍の予備役将校訓練課程で3年間を費やしていたコリーナさんの長女、ヤニカさんは海兵隊に入隊した。退役海兵隊員であり、海兵隊員の妻であったコリーナさんは、さらに海兵隊員の母親になった。
ヤニカさんが海兵隊員としての人生を歩み始めたとき、コリーナさんは「助けが必要な時はいつでも、私がついているから。」と彼女に話したという。
コリーナさんは、ヤニカさんが正しいと思ったことは何でもやってみる機会を与え、彼女の決意をコントロールすることはしなかった。コリーナさんは、娘であるヤニカさんが母親の助言を聞くかどうかに関係なく、常に助ける準備をしていた。
2021年、コリーナさんは家族と一緒に岩国基地に移り、新たな冒険が始まった。コリーナさんは岩国で、海軍海兵隊救済協会(NMCRS)、米国慰問協会 (USO)、第121海兵戦闘攻撃中隊(VMFA-121)のコマンド・チーム、マシュー・ペリー・ハイスクールの保護者・教職員組織(PTO)、海兵隊員家族向けの対話型 プログラム(L.I.N.K.S)のメンターなど、数多くの団体でボランティア活動をしてきた。また現在は、岩国基地配偶者クラブでもボランティア活動をしている。
2023年の今年、地域社会サービスにおいて傑出したボランティア活動をしてきたことが評価され、コリーナさんはアメリカ大統領ボランティア功労賞の金賞を受賞した。
コリーナさんのような人は、岩国基地コミュニテ ィで生活する人々の質の高さを表している。彼女は退役海兵隊員、海兵隊員の配偶 者、移民、海兵隊員の母親、模範的な市民と、様々な顔を持っている。500時間を超えるボランティアの経験を持つコリーナさんは、これからも、さらに努力を続けていくだろう。彼女はただ、あるポジションに就いて、その役割を果たすだけでは満足しない。友人や家族が愛され、支えられていると感じられるよう、彼女は常に期待を超えた貢献をしている。