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2023年5月21日、米海兵隊岩国航空基地で行われたマシュー・ペリー・ハイスクール卒業生を祝う式典で、卒業生を抱きしめるマシュー・ペリー・ハイスクールのラトリサ・レネー・コブ校長。(写真:レイモンド・トン伍長)

Photo by レイモンド・トン伍長

多くの人々に届く教育への熱い思い:マシュー・ペリー・ハイスクール前校長 ラトリサ・レネー・コブさん

21 Aug 2023 | アイザック・オロスコ伍長 Marine Corps Air Station Iwakuni-Japanese

子供時代に学校で過ごした長い一日や短い休み時間の思い出を懐かしむとき、学校では基本的な数学や科学などの科目だけを学んだのではなく、人としての自分が何者であるかを学んだのだと気づく。多くの子供にとって、学校での日々は成熟した大人に成長するために必要不可欠なものであり、将来、大きな成功へ導くチャンスを与えてくれる。自分を指導してくれたり、成功へと導いてくれた特定の人物の名前を挙げる人も多い。マシュー・ペリー・ハイスクールの多くの生徒にとって、ラトレッサ・レニー・コブ前校長こそ、その人物である。

ノースカロライナ州で育ったコブさんは、シングルマザーに育てられ、非常に質素な環境で暮らしていた。教育を非常に重視していた彼女の祖母は、コブさんの人生に多大な影響を与え、よりよい未来を築くために自分の人生に投資するよう強く勧めた。

「祖母には9人の子供がいましたが、その半分以上が大学院へ進んでいます。祖母は家族に教育を受けることの重要性を教え込んでいました。」とコブさん。「『大学に行くの?行かないの?』という感じではなく、『あなたは大学に行くのよね』という感じでした。どの世代も自分の次の世代にはよりよい生活をしてほしいと願っています。私は祖母が経験したことや、家族や周りの人々に教えてきたことを見て、仕事に対して祖母と同じ倫理感を持つようになりました。」

高校卒業後、コブさんはノースカロライナ州、ダーラムにあるノースカロライナ・セントラル大学へ入学。そこで数学の理学士を取得した。

「高校を卒業して、ノースカロライナ州の教員奨学金を得ていました。」とコブさん。「これは大学を卒業後の4年間、ノースカロライナ州で教鞭をとることに同意する場合に得られるものです。大学に通えるというだけでなく、教育分野における経験と情熱を与えてくれるものでした。」

コブさんの教育者としての最初の仕事は簡単ではなかったが、同時に、教師という仕事がやりがいのあるものだと気づくことができた。生徒に教えれば教えるほど、教師を続けたいという思いが大きくなっていった。

「私の情熱は教育であり、変化をもたらすことであり、そしてプラスの影響を与えることです。」とコブさん。「子供たちが愛されていると感じたり、学校での勉強だけでなく、社会的、感情的、精神的にも大切にされていると感じるために、このようなつながりを築き、他人に影響を与えることが私にとってすべてなのです。」

コブさんはノースカロライナ州で教鞭をとっているときに、米海軍に勤務していた夫と出会い、夫の赴任に伴い、ニューヨーク州、バージニア州、メリーランド州、カリフォルニア州など、米国各地を移り住んだ。やがて2011年、米国内にとどまらず、日本へ初めて赴任することになる。コブさんと家族は、初めての海外赴任先となる米海軍横須賀基地に異動となった。6年後の2017年、コブさんは岩国基地に異動し、国防総省教育本部の教員としてマシュー・ペリー・エレメンタリースクールで1年間、勤務した。その後、マシュー・ペリー・ハイスクールの校長となった。

「岩国に来たときは最初、教員でしたが、幸運にも2017年にマシュー・ペリー・ハイスクールの副校長に昇進しました。」とコブさん。「2021年にイワクニ・インターメディエイト・スクールの校長に昇進し、1年間、同校に務めましたが、その年の終わりに校長としてマシュー・ペリー・ハイスクールに戻ってくるよう言われました。2021年から今まで、マシュー・ペリー・ハイスクールの校長を務めています。」

コブさんは校長の職についてから、熱心にその役割に取り組んできた。彼女は、自分が生徒だった時にそうあってほしかったように、生徒にとって、より楽しく、エネルギッシュな環境を作ろうと考えている。

「生徒だったとき、私はいつも『自分はどんな先生になりたいか』『自分は校長先生にどんな風に扱ってもらいたいか』を考えていました。」とコブさん。「『校長先生とはどんな風に関わりたかっただろう?』こう考えることで、典型的な校長先生にはならないようにしています。学校では楽しいことをやるようにしているんです。例えば、毎週金曜日にボーズのスピーカーを抱えて『フィール・グッド・フライデー(気分のいい金曜日)』の歌をインターフォンで流しながら校内を歩き、生徒たちに意見を聞いたりしています。そうすると、生徒たちは毎週金曜には、学校の入口までダンスをしながら出てきて楽しむのです。こうすることで、自分たちの場所である学校が大好きになるのです。笑いながら冗談を飛ばし、生徒やその家族、職員がここにいたいと思う場所になります。こんな場所を作れるのは素晴らしい文化だと思います。」

コブさんが岩国に赴任して最初の数年間、彼女の影響力は基地の他の教育機関の機能向上に大きく貢献した。しかし、新型コロナウイルスによるパンデミックで世界中の教育や学校のあり方が一変した。当時、マシュー・ペリー・ハイスクールの副校長だったコブさんは、教育の在り方や学校の役割を決定する重要な役割を担う一人だった。

「学校が閉鎖されて、子供たちが教育を受けられなくなると、その親である米軍人は任務に集中することができなくなります。学校の役割は、親である米軍人が任務に専念できるよう、彼らの子供たちをケアしてあげることです。」とコブさん。「2020年の3月から6月まで、私たちは学校に来ていませんでしたが、その年の8月にはすぐ、学校を再開しました。これは、私たちがここ、岩国で成し遂げた最も素晴らしい成果の一つです。」

新型コロナウイルスが学校にとって大きな問題ではなくなってくると、学校はリクリエーション活動を増やそうと努め、コブさんはマシュー・ペリー・ハイスクールの校長としてその先頭に立って奮闘した。コブさんは、最近、彼女が運動部の生徒の為にしたことについて説明する。

「今年、私が得た素晴らしい機会の一つは、日本国内にある6つのハイスクールに通う運動部の生徒を支援したことです。」とコブさん。「試合があるときに生徒が参加できるようにしたり、生徒全員が平等に参加できるようにしたりなど、これらは校長としての私の仕事を超えたものでした。ですが、自分の生徒たちに、参加する平等な機会を与えたかったのです。子供たちが学校を離れる時、すべての方程式は覚えていないかもしれませんが、フットボールやバスケットボールの試合の為にバスで12時間かけて座間基地まで行った思い出は忘れないでしょう。」

米軍人の家族やその子供たちは、転校を繰り返さなくてはならない。しかし、彼らが学校を去って、次の学校へ転校または人生の新たな章へと踏みだすとき、彼らは少しずつ、人生の次のステップの準備がうまくできるようになり、賢くなる。

「9年生から12年生の生徒をここで見てきましたが、彼らの変化は素晴らしいものです。」とコブさん。「ハイスクールに入学したばかりの9年生は、自分自身が何者なのかを探っている状態ですが、卒業する12年生になると、生徒が全く違うことに気づきます。彼らが成熟し始め、人生の道を見つける手助けができたと感じることができるとき、この時が私にとって一番、大切なものです。」

生徒たちはそれぞれ、ある段階になると、家を出るか、または家族に転勤命令が出て荷物をまとめて新しい学校へと転校することになる。生徒の多くと同じように、今度はコブさん自身が新たな冒険に向かおうとしている。

「私は家族と一緒にベルギーのブリュッセルに行くことになりました。そこで、国防総省教育本部DoDEAのヨーロッパ支部で働くことになります。」とコブさん。「そこでは学校の校長先生や支部の指導者を指導する予定です。いわゆる学校での勤務ではありませんが、他の校長先生たちの仕事を見ることができるので、とても楽しみにしています。」

コブさんの人生におけるこの章は幕を閉じることになるが、彼女が教えてきた生徒だけでなく岩国基地コミュニティ全体に与えてきた影響は大きく、今後もずっと長年にわたって記憶に残るものになるだろう。


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