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米海兵隊岩国航空基地

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岩国への感謝の手紙 -ジェイ・ウッズ大尉より

By ジェイ・ウッズ大尉 | | June 11, 2010

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岩国警察署の友人たちからの贈り物を受け取り、謙虚にお辞儀をしながら、私は彼らの親切さに心を打たれていた。だが、それと同時に、過去3年間の岩国での出来事を思い出して胸がいっぱいになった。

日本に赴任する前、大胆でわくわくするような人生の新しい章を始めようと、私達夫婦は海外赴任を欲しいもののリストに追加していた。

旅行は私達夫婦がいつもしたいと思っていることだ。そして2007年の5月、私は妻と一緒に岩国基地に赴任した。

赴任してすぐに、日本文化を学んだり、新しいことを体験した。例えば、赴任した年の夏には夫婦で富士登山に挑戦。そのときはもう二度と登らないと誓ったのだが、私自身は翌年の夏に部下の海兵隊員たちと一緒に再び富士山に登った。

岩国基地の憲兵隊将校として赴任した私は、日本の警察官、税関事務所、中国四国防衛局、自衛隊と一緒に働く機会をすぐに与えられた。これは若い少尉ではあまりできない貴重な経験であった。

多くのことを学んだが、その大部分は、この世界にいるほとんどの人は何語を話そうと同じであるということだ。

ビジネスはビジネス。日本人はビジネスのときには容赦ない人たちだと言われている。私も日本人と仕事をして、彼らが会社のため、目標達成のため、上司を喜ばせるために最良のものを求めることを知った。それは私達アメリカ人と同じだ。ある状況で日本人がどんなに抜け目ない人たちであろうと、日本人との会議がどんなに白熱したものであろうと、日本ではいつも温かく親切に迎えられた。

私はアラバマ州中央に位置する小さな街の出身だ。そこは、アイスティーとバーベキュー、フットボールが人気を集めるような場所で、人間よりも鹿のほうが多いところだ。

アメリカ南部の中心にあるアラバマ州では、私の出身地はその温かいもてなしで知られている。

「中に入って、座りなさい。何か食べ物を持ってくるから。」というのは、私が祖母の家に入るときにいつも聞く言葉だ。

大体の考え方は、ここ岩国でも全く同じだ。

以前、私達はある日本人の家に夕食に招かれたことがある。それは、私達がこのような素晴らしい人たちの文化に興味を示した外国人であったとだけの理由からだ。

出会った日本人はみんな、私達のことを好意的に解釈してくれていた。だが、こういったことはどこでも起こることではない(好意的に解釈してくれるのは日本が特別な国だからだ)。

岩国と錦帯橋、広島、京都、東京、またその間にある多くの場所を旅行して、その旅先で会った人達や旅の合間に出会った人達に魅了された。

私達は日本人の友達を数多く作ったが、その人達はこれからも連絡を取り続けたい人たちだ。岩国基地赴任中、私達は新しい滑走路や航空管制塔などが建てられているのを見て、岩国基地が変わっていくさまを見る機会があった。そしてその他の無数の事とともに、わたしたちは文字通りこの基地が新しい基地に変わっていくのを見た。

その変化の中の小さなことではあるが、私達は親になるという幸運に恵まれた。

2009年8月6日、ガブリエル・マシュー・ウッズが岩国で誕生した。

岩国基地の多くの人たちがその夜に起きた私の妻、ニーナの大変な話を聞いたと思う。だが、その運命的な夜が私達の人生にどのような影響を与えたかを理解している人がいるかどうかはわからない。

午前10時、赤ちゃんの大きさのために久保田先生の診察を受けた後、ニーナは陣痛誘発剤を投与された。

12時間の陣痛のあと、久保田先生は緊急帝王切開を決めた。

赤ちゃんがとても大きかったため、自然分娩は無理だったためだ。

帝王切開はうまくいき、私は久保田先生と庄司先生がうまく手術をしてくれたことに感激した。

午後10時28分、ガブリエルは20.5インチ(およそ52.1センチ)、9ポンド5オンス(およそ4,150グラム)(後で私の日本人従業員には「ゴジラ君」と呼ばれることになるのだが)で生まれてきた。さらに言えば、他のどの赤ちゃんもそうであるように、ガブリエルは本当に申し分ない赤ちゃんだった。

その後の問題は、ニーナの血液が止まらなかったことだ。

およそ20分の感覚で、彼女の血圧は通常の値から39/14まで下がり、心拍数は173回/分となった。久保田先生はニーナの母親と私に、ニーナは輸血が必要で、彼女の命を救うためには子宮の全摘出が必要であることを告げた。

ニーナが手術室に運ばれる間、私は彼女のおでこにキスをした。その間、彼女と一緒に過ごした時間が頭をよぎった。

彼女が手術室に消えると涙があふれ、「愛しているよ。僕はここにいるよ。」とつぶやいた。

私の後ろにある新生児室ではガブリエルが泣いているのを聞きながら、「そんなこと起こるはずはない。」と自分自身に言い聞かせていた。

私はニーナの母親と少しの間抱き合い、その後指を鳴らし、「助けを呼ぼう。」と言った。

電話を手に取ると、上司であるジュゼッペ・ストボール少佐に電話をした。

私は泣いていたが、少佐と電話で話す間は正気を保とうとしていた。「少佐、ニーナが危険な状態なんです。」と話し、今までの状況を説明した。

電話を切る前に、少佐は「ジェイ、大丈夫だ。私達のために助けを呼ぼう。」

私はこのときの言葉と、少佐が「私達」といったことを鮮明に覚えている。少佐は私達と同じ状況、つまり家族のようだった。

そして少佐は行動に移った。この夜の彼の行動がニーナの命を救ってくれたと、私は確信している。

少佐は全員を起こしたのだった。

それからすぐに、少佐、基地副指令、従軍牧師が岩国基地診療所の大勢のスタッフと一緒に病院に駆けつけてくれた。彼らは自分達ができることすべてにおいて助けてくれた。

その到着から5分も経たないうちに、看護婦が手術室から出てきて「血液が足りなくなってきてます。輸血が必要です。」と言った。

少佐は電話をかけて、ニーナの血液型に一致する血液提供者を探した。

ほんの数分で、救急車のドライバー、ロバート・ミルズ従軍牧師、勤務中の憲兵と日本人警備員、夜中に起きて兵舎にいた海兵隊員、憲兵隊のジェームス・チャンバー先任曹長とクリストファー・ワイクル先任曹長が血液を提供するために来てくれた。また、必要であればいつでも病院に来れるよう、血液提供者のグループが憲兵隊に待機していた。

その夜、ニーナの状態はよくなったり悪くなったりを繰り返した。

久保田先生はニーナの臓器に直接圧力をかけて、彼女が出血死しないようにしていた。

病院の廊下にできた血液提供者の列はとても感動的な光景だった。本当の歩く血液バンクだ。

手術記録が翻訳されて一ヶ月もたたないうちに、私達はどれだけの血液をニーナが必要としていたかを知った。

その夜、必要な血液は20単位だと言われていたのだが、実際には30単位の血液と5単位の新鮮な血液が必要で、全部で35単位の血液が必要だった。

手術は午前7時ごろにやっと終わった。岩国コミュニティが彼女の命を救ってくれたのだ。

ニーナは2週間ほど病院で過ごし、その後回復までには数ヶ月を要した。

私は、みんながあの夜善意で助けてくれたことを神に感謝した。

私が感動したのは、みんなの助けがその日だけで終わらなかったことだ。

日本人もアメリカ人も同じようにニーナを見舞いに病院に来てくれたり、食べ物を持ってきてくれたり、家をきれいにしてくれたり、洗濯など必要なことはなんでもしてくれたのだ。

あの夜は私達が知らない人たちまでが出てきて助けてくれ、その後何週間も何ヶ月も続けてくれた。

岩国コミュニティは私の家族の力になってくれ、私は彼らに対して永遠に感謝したいことをもう一度言いたい。

先日の月曜日、ニーナと私は床に座り、ガブリエルが部屋の向こうから私に向かってはいはいしてくるのを見て笑いあい、歓声をあげた。

ガブリエルは現在8ヶ月となった。去年の8月のあの夜、もし岩国にいなかったらどうなっていただろうと考えずにはいられない。

あの夜のことは、日本にいたから、または狭い地域の小さな基地にいたから起こったのかも知れないが、岩国基地にいたからというよりも、この国(日本)全体に歓迎されていたからだったと思う。

私達は岩国を愛し、いつも岩国をふるさとのように感じている。

私達家族は4月17日に岩国基地から転勤となった。アメリカに帰国する時、飛行機が滑走路から離陸すると、ほろ苦い思いが込み上げてきた。

私達は現在、人生の新しい章を始めようとわくわくしている。しかし、岩国基地赴任中に感じた人の温かさ、愛情、そして家庭のような感覚を決して忘れない。

本当にみなさんありがとう。皆さんの成功をお祈りしています。永遠なる忠誠を。

(注記:この手紙は、ウッズ大尉が岩国の皆さんへお礼を伝えたいとイワクニアプローチに送られたものです。原文は2010年6月11日発行のイワクニアプローチ、2ページと10ページをご覧ください。PDFファイルへのリンクはこちらをクリックしてください。)


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