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絶望から立ち上がる被災地を支援する基地ボランティア

8 Mar 2012 | ベンジャミン・プライヤー兵長 Marine Corps Air Station Iwakuni-Japanese

宮城県石巻市長面(ながつら)の集落に残された数軒の家屋は、多くの山々に囲まれた渓谷に静かにたたずんでいる。

昨年の東日本大震災から1年が過ぎたが、被災地では電気が未だに復旧していない。残された建物への唯一の道は土ぼこりの道路だけで、この道路の周りには基礎だけが残った建物跡や取り壊し中の崩壊した家々がある。

崩壊した集落の隣にある長面湾は、かつてこの湾で漁をしていた地元の漁師たちのために静かにそのままの状態で残されている。長面の地元漁師の支援を受けて、岩国基地ボランティアと地元のボランティア団体(イッツノットジャストマッド:It’s Not Just Mud)が漁師のための倉庫と事務所を建てた。

「日本で漁師をする場合、地元の漁業組合に入らなければなりません。」とボランティアに対して話すのは、国際災害支援機構日本のディレクター、ロバート・マンゴールドさん。「漁業組合の一員になるということは、ある特定の場所での漁業は許可されるが、それ以外の場所では許可されないことを意味します。この地元の人々はこの湾内で漁業をする権利を持っており、ただ荷物をまとめてここを出て行けばいいというわけではないのです。ここで漁業を続けるか、辞めるかのどちらかなんです。今日は、この漁師の皆さんのために網などを保管する倉庫と事務所を建設します。」とマンゴールドさん。

漁のための倉庫小屋だけでなく、今後の仕事をさらに拡大できるようにするために、事務所も提供される。

ボランティアはこの日、このプロジェクトに必要な木材を測ることから始め、基礎からひとつずつ建て始めた。

ボランティアが建物を立てるのを許された場所には平地がないため、基礎となる木の梁や桁が、コンクリートブロックの上に乗せられ、完全に水平になるように測量された。

「長面の主要な経済は牡蠣の養殖と漁業なのですが、現時点でほとんどが流されてしまっているのがわかると思います。」とマンゴールドさん。

「湾内で(仕掛けを)試してみる漁師さんもいるにはいますが、拠点となる場所がなければほとんど不可能です。漁師の皆さんが以前のように仕事ができるように私たちが支援すれば、漁師の皆さんが地域社会を元にもどし始めることができると願っています。」

全員がそれぞれの得意な部分を手伝い、木の梁をねじや釘で組み合わせて小屋の床を作った。

一枚一枚の木の板を釘でつなぎ合わせ、地元漁師のための仮説事務所を建てていった。

地元の人々はボランティアへの感謝のしるしとして食事を用意してくれたが、この食事を取る以外、ボランティアがこの日、作業を中断することはなかった。

「地元の人たちは、私たちのボランティア活動を本当に喜んでくださり、牡蠣を焼いてごちそうしてくれました。」とマンゴールドさん。「でも、今日、本当に一番よかったことは、私たちが地元の皆さんのために何かをしようとここに集まったことを示せたことです。このことが、地元の皆さんの人生において大きな影響を与えると信じています。」

この日の終わりには、小屋は四方を壁で囲われ、木材基礎の強度によって支えられ、釘やねじで補強されていた。小屋の上には夜の悪天候から防護するために防水シートが掛けられた。そして、多くのものを与えるだけで何も求めないボランティアや地元の人々による努力を忘れないようにと、写真の撮影が行われた。

長面の人々は明らかに前へと進んでいる。だが、一年経った今でも、自然の怒りを切り抜けた人たちの心には、大災害の記憶が鮮明に残っている。

「地元のある人が、津波が起きたあの日のことを私に話してくれました。」とマンゴールドさん。「あの大地震が起こった後、ほとんどの人は津波が来るとわかっていたので、高台に上ったそうです。中には大丈夫だと思った人もいて、家に残ったままの人もいたそうです。津波が起きた時、町は波に飲み込まれ、長面湾の中に流されました。第三、第四の波が来るまでの間には雪が降りしきり、だんだんと暗くなっていき、高台に上った人たちは何もできませんでした。向こう側にいる人たちの声が聞こえたけれど、何もできなかったと彼女は言っていました。何時間にもわたって波が押し寄せたので、残っている人たちを助けることはできませんでした。彼女は助けを求める人たちの叫び声を聞いたそうですが、辺りは真っ暗で助けることはできませんでした。ゆっくりと、その声は小さく、少なくなっていき、朝には静かになっていたそうです。」


写真1
3月8日、地元漁師のために建てられた倉庫小屋の床の長さを測量する、国際災害支援機構日本のディレクター、ロバート・マンゴールドさんと岩国基地ボランティアのロバート・シェウさん。この小屋は、地元漁師が網などをしまう倉庫や事務所として使われる。

写真2
3月8日、地元漁師のための倉庫小屋の最初の壁を設置する、岩国基地と地元のボランティア団体(イッツノットジャストマッド:It’s Not Just Mud)のボランティア。ボランティアが建物を立てるのを許された場所には平地がないため、小屋の基礎の木の梁や桁が、コンクリートブロック(シンダーブロック)の上に乗せられ、完璧に水平になるまで測られた。